「新たな選択肢が人生を豊かにする」をミッションに掲げるMOLARA(モララ)。
日本で初めて国産の使い捨て月経ディスク「MOLARA(モララ)」の開発に成功した向井桃子は、月経ディスクに出会わなければ起業もしていない、起業してなければ、今の人生は無いといいます。このコラムでは、向井桃子が出会った人々が、月経ディスクの体験を語り、また、その人々が、どのようにして人生が豊かになったかを語るコラムです。

職業:女優
―キャリアのスタートはダンスのインストラクター。
もともとは音楽系の仕事がしたかったので、歌とダンスをしていたんです。21歳の時にダンスのインストラクターでキャリアをスタートしたんです。仕事をして食べていくためはどっちが良いか。私が選んだ道は、ダンスのインストラクターだったんです。―当時のダンスの仕事はどういう感じでしたか?
当時は、今のようにダンスが普及していませんでした。今はYouTubeもあり、自分を表現する場が増えましたが、当時はインストラクターをするか、もしくはバックダンサーで表現する場が限られていたのです。―その後、モデルの仕事をするようになった。
はい、ダンサーのオーディションを受けに行ったとき、モデル事務所の関係の方に声をかけてもらいました。それがきっかけで、モデルの仕事を始めました。20歳くらいからダンスの仕事を初めたのですが、当時から「自分の表現方法ってどうなんだろう」って模索していた時期でもありました。それからダンスとモデルの仕事を並行して続けていましたが、そのあとモデルの仕事に1本に絞りました。
―自分がハマれるものが見つかってなかったんですね。
そうなんです。自分を出し切れる、ダンスであれば、ダンスの環境で勝ち残れる。それが何なのか分かりませんでした。当時から、自分を最大限に表現できる場所を求めていたんだとおもいます。正直なところ、モデルの仕事をしたい、という思いで始めたわけではありません。心の中に、ずっとモヤモヤするものがあって、「これだ」って思うハマれるものが見つかってなかったのです。―地元でモデルの活動を開始した。
香川・高松でダンスのインストラクターを始めましたが、21歳のとき、東京に本社がある四国のモデル事務所に所属し、地元でキャリアをスタートしました。四国でモデルの活動を開始して、東京に出てきたのが26歳の時です。―もっと表現できる環境を求めて上京した。
数年間、地方でのモデルの仕事をひと通りさせていただきました。もっと表現できる場所が無いかと考えた時、私はファッションが好きで、著名なファッション誌の仕事が出来ないかと思ったんです。地方にいてはなかなかチャンスが巡ってこない。そこで、事務所にお願いして東京へ行かせていただいたんです。
―当時で言う“辛口系”の雑誌に出ていた。
今は廃刊になりましたが、グラマラスやナイロンなど、当時は“辛口系”と呼ばれた雑誌にでていました。クール&ハンサムで大人っぽい女性を意識したファッション誌でした。当時は、AKBが出てきたころ。可愛い系が推しの文化だったんです。今ではあればK-POPが出てきたので需要はあったと思いますが、私のスタイルはちょっと早すぎましたね(笑)
―いつか「ハマる日が必ず来る」と思っていた。
本来、突き詰めるタイプなんです。好きなことをずっと突き詰めていきたい。女優の仕事を通じてそう思うようになりました。ダンサーを辞めてモデルの仕事を始めたのも、自分が好きじゃない事をやり続けられなかったんだと思います。当時可愛い系が流行っていたとしても、自分のスタイルを変えることをしませんでした。辛口系の仕事は激減し苦労はしましたが、いつか自分がハマる日が必ず来る、そう信じていました。
―「舞台」というハマれる転機が訪れた。
モデルのオーディションを重ねる中で「もっと表現力を身に付けたい」という思いが強くなってきました。当時のマネージャーへ相談したところ「舞台に出てみたら」と言われたんです。初めて舞台を踏んだのは28歳で、事務所が主催する舞台でした。ファションの業界とは全くの正反対。モデルの撮影現場は、モデルさんはとても大切に扱われる。でも舞台では女だからとか若いからだとかは全く関係ない。怒鳴られるし、すごく大変でした。10代の女優の子が、私より滅茶苦茶表現力がある姿を目の当たりにしてすごくカルチャーショックでしたし、様々な壁にぶち当たった印象でした。
―そのギャップをどのようにして克服したのでしょうか?
芝居の経験も全くなく、当初はコンプレックスでした。しかし仕事を体験していくうちに感じたのが、女優には表現方法に制約が無く、この仕事ならば、自分の可能性を引き出せるのではと感じたのです。ダンスの仕事をしてきたり、モデルの仕事もしてきました。これまではパーツパーツでやってきたのですが、物足りなさを感じていたんです。女優ならば、これまでの経験を結びつけ、活かすことができる天職じゃないか、そう感じたんです。ずっと、自分にハマれるものが無いか。探し続けてきた中で、女優の仕事にたどり着きました。そこからは、あまりにも楽しすぎて、ギャップを埋める努力は苦ではありませんでした。

―今は仕事が楽しくて仕方がないのでは?
そうですね。すごく楽しいです。女優を初めて6年。できるならずっとこの仕事をしていたいですね。コロナもあり、お芝居が一時できなくなりましたが、その後は映像の仕事が増えて、映像をメインに活動しています。今は映画やYouTubeドラマ、企業のCMなど、幅広く活動をしています。―月経ディスク「MOLARA(モララ)」を使った経験を教えてください。
月経ディスクを知らなかったですし、月経カップも使ったことはありませんでした。向井桃子さんから月経ディスクMOLARA(モララ)を提供いただき、実際に使ってみたところ、1回目で問題なく装着できたんです。漏れもありませんでした。挿入後の違和感も全くなくて驚きました。―女優の現場で使うとしたら?
仕事で温泉のロケに行くことがあるんですが、1日で10か所くらいの温泉に入ることがあるんです。その日に生理になると最悪で、沢山のスタッフさんに迷惑も掛かるし。対処法としてもタンポンしかなく、ちょっと漏れるのでは、衛生面でどうなのかなど、不安な面も多々ありました。ピルを服用する人もいますが、私はそれも苦手だったんです。先日の温泉の現場で、実際に月経ディスクMOLARA(モララ)を使用し、問題無くロケを終えることができました。月経ディスクMOLARA(モララ)に出会えたことは、本当に神だと、思いましたね(笑)
―課題を解決できた、素晴らしい事例ですね。
はい、今後もロケの仕事で生理になってしまっても、月経ディスクMOLARA(モララ)があれば安心だな、と心から思いましたね。仕事的にもトイレに行くことができないですし、匂いもほとんどしなかったんです(※)。(※)個人差があります。
―竹内さんから見て、どういった人に使ってもらうと良いでしょうか?
普段からTバックを履く人も多いと思います。スーツを着るキャリアウーマンは、生理の時のショーツ跡が透けるのも嫌うのでは無いでしょうか。月経ディスクMOLARA(モララ)ならTバックも履けますし、ショーツ跡を気にする心配がなくなります。歳をとると、体臭も気になると思います。その点からも月経ディスクはおススメかもしれません。
生理に対して煩わしさを感じている人、面倒と感じている人にもぴったりです。私は荷物を持ち歩きたくないタイプ。ナプキンは嵩張り荷物になりますのでおススメですね。
―月経ディスクの改善点を挙げるとしたら?
1度だけ取り出すことを忘れてしまったことがあるんです。それも2日間ほど・・・。違和感が全くなさ過ぎて、忘れてしまったのです。改善点というより、気を付けないといけないなと思いましたね。
―最後に、人生が豊かになったエピソードがあれば教えてください。
地方から東京に出てきて、色々言われることがあります。いつまでその仕事をしているのとか、そろそろ結婚したらどうか、など。地方にいたら、自分の方が間違っているのかな、と必ず思うでしょう。しかし、こうやって東京に出て、同じような考えを持った人が沢山いることを知りました。頑張れる環境が見つかるんです。
自分の人生が豊かになっていない、そう感じた時は、今の環境を捨ててでも、新しいチャレンジをすることも重要だと感じています。人生は自分で変えることができる。それが豊かにする基本だと実感しています。

―月経ディスクに出会えたことも同じですね。
ナプキンだから仕方が無い。そうやって決めつける必要はありません。月経ディスクという選択肢があることを受け入れ、沢山の人に知って欲しいです。自分に合う合わないはあるかもしれません。ただ、今を変えたいならば環境を変えてみて、チャレンジしてみる。この行動は、自分の可能性を広げるきっかけに繋がると思います。
―竹内さんが今後やりたいことはありますか?
仕事が趣味なので、その他でやりたいことは、となると難しいのですが、普段は激しい仕事をしているので、プライベートでは、時々着物を着ています。着物が好きで、着付け師の仕事もしていました。静の着物を着て、バランスを取っている感じですね。ダンスも好きですし、表現力を磨くために、今後はバレエにも挑戦したいですね。
―ありがとうございました。
竹内里紗ホームページ:https://takeuchirisa.com/
竹内里紗Instagram:https://www.instagram.com/risa_takeuchi_official/